some ( hachinohe ) - 都市へのまなざしサンプル帳 vol.2
都市はさまざまなものの関係性でできている。都市を体験することは、都市の要素と要素、あるいはそれらと自分を関係づけていく行為であるとも言える。断片的なイメージをつなぎ、総体としての都市を捉えようとする。その無数のまなざしの一つを「都市のサンプル帳」として制作した。
第二弾となる some ( hachinohe )は、2024年10月に旅した青森県、八戸市での体験を記述する試みである。
八戸的なもの
八戸市は青森県の港町で、秋田、岩手にまたがる南部地方の文化圏にも属し、市民が山車を製作する三社大祭や、デコトラの発祥地としても知られている。
今回の滞在でも、朝市の会場で毎週催される出し物、市営の本屋と民営のブックバーによる連携、市民ギャラリー展示などの存在を知り、市民の発表や創作の場が身近であることが印象的だった。市美術館の企画展では教育版画が取り上げられ、青森県を中心とした昭和初期からの活動の歴史や作品の一部が紹介されていた。絵の上手さよりも生活を見つめて表現することや、共につくり共に学ぶことが大切にされている姿勢に、深く共感した。
この姿勢は南部地方に伝わる刺し子とも通じるものがあり、日常の質実な必要から生まれる趣向の中に「some hachinohe」= 「八戸的なもの」を見出し、市場の活気や夜の小路の灯り、増築を重ねた建物のユニークさなど、人々のありのままの生活の断片を綴ることにした。
都市へのまなざし
この本では断片の集合から総体を捉えていくような都市の体験の記述を試み、本自体の形式も断片的な写真カードを束ねた「サンプル帳」の形式を採用している。それぞれの写真は私たちが「八戸的なもの」と感じた場面である。それらをテキストによって整理するのではなく、写真と写真をしりとりのように線でつなぎ、私たちが経験した八戸をできるだけ経験したままに綴じようとした。
整理や単純化によって世界を認識しようとする私たちにとって、複雑なものを複雑なまま、断片を断片のまま捉えることは容易ではない。それでもできる限り世界をありのままに捉えようと努めるとき、その限界ゆえに無数の見え方があることに気がつく。
バインダーのネジは着脱可能。街を体験するようにカードを並べ変えれば、別の「八戸的なもの」やそのつながりが立ち現れるかもしれない。
some ( )
some(one), some(thing), some(time), some(where), some(how)......
someoneという言葉が「誰か」と共に「重要な人物」という意味も持つように、some ( ) は、何気ないようで誰かにとっては特別な何かを考える・つくるコレクティブである。共同主宰の森本芽衣と宮武壮太郎は、ともに日本と北欧で都市・建築デザインを学び、現在は建築設計など実務活動を通して、文化的・社会的・環境的な持続可能性を考えている。
2017-2021年のあいだ、宮武が美術館の設計監理で携わり、当時から時折ふたりで訪れている八戸に、今回改めて足を運んだ。
[著者公式ウェブサイトより]
45ページ / ハードカバー / 105 x 74 mm / 2024年